斎藤の小噺

漫画描きの日記

夜半⑤1

ふと、中学高校の事を思い出した。

別にだからどうとかってわけじゃないんだけど、中学生活は何を思い出しても地獄だったな。よく耐えられたなと思う。

友達関係も最悪で、馴れ合いだった。

他の人間を見下しながら生活してた。

我に帰る時間なんてほとんどなかった。

人に合わせるのに必死だった。

自分の思いは蔑ろになっていた。

嘲笑う連中が多かった。

そういう、自分も含めたなんでもない人間の悪意の吹き溜りだったんだ、あそこは。

だから辛かった。中学とはいえ小学生とあまり変わらない教室内の肩身のせまさが息苦しかった。それは高校も、現在も変わらないけれど。

受験の為の勉強に、先生のご機嫌取りに全く意味を見出せなくなったのは中学終わりくらいだった。勉強は社会に差し出す履歴の為の材料に過ぎなくて、つまり自分がしたい勉強じゃなかった。

高校入学。友達は出来ないと思ってたし、いらないと思ってた。中学の美化した思い出に縋っていた。でも辛かった。

人と話して、友達と呼べるようになってからは本当に楽しかった。空気を読むだのの下らない事はしなくていいし、他人を嘲たり、多少はあったけどしなくて良かった。なによりそこでの勉強は辛かったけど楽しいと言えるものだった。

高校で初めて、自分と違う人間の考え方を知るのが楽しいと思った。そんなこと、中学までの人間関係には無かったから。自分の知らない事のある世界は楽しかった。知らない場所にも多く足を運んだ。山形県に行くなんて思いもしなかった。まして自分から。

高校は本当に楽しかったなぁ。

話を合わせる必要がなくて、高校に行って、自分のいられる世界はこっちなんだと思った。

それが証拠に久しぶりに会う中学の友達との話、そして昔いた場所は酷く退屈に思えた。

というよりも、別の世界の言葉に聞こえた。

何が楽しいのか、全くわからなかった。

自分にとってそれは退屈なんだ。

あいつらが悪いわけじゃない。

ただ、あいつらが自分にしてきたように、自分も楽しい人と楽しい話をしていたいから、世界を変えるのだ。

高校生活のがはっきり言って中学より辛かった。勉強も進路も人間関係も。でも苦しくはなかった。それは、自分が辛い、辛くても良いと思える価値だった。まだそれでも良いと思える事だった。

高校に行ってなかったらやはり今の自分は無い。高校の、あの場所、あの人たちに出会えたからこそ今の自分の考え方と世界観になれたと思う。

唯一、あの高校を選んだ事には後悔が無い。

今のところ、自分の人生を変えた大きな選択に関しては一つも後悔が無いと思える。

 

あとは、そうだな、好きと言えるうちに言っておけばよかったな。自分にはその機会があったと思う。

言える時に言っておこう。それは言わなければならない事だと思う。