斎藤の小噺

漫画描きの日記

夜半⑨1

◯「朱雅」の人物像について

 

・目的は悪人を逮捕する事。

これは刑事物なのでという、正直"とりあえず"であるものだった。

個人的に目的はなんでもいいと思っていて、

問題は動機。

動機がキャラクターの奥行きを決定する。動機がその人らしいもので無いと漫画自体が埋没することになってしまう。

 

・動機は悪人の泣きっ面が何より好きだから。

これはある日思いついた

「善人がいるとしたら笑う権利がある、悪い事をしていないから。しかし悪人は泣かなくちゃいけない、悪い事をしたから。」

とその後に思いついた

「好きな人の笑顔を見るのは好きだよね、それと同じ。悪人の泣きっ面を見るのが私は好き。」

があっての物だ。

 

これはDEATH NOTEがあったからこそ出来た。月に感謝。大場つぐみ先生に感謝。

月の目的は「善人だけの理想の世界を作ること」。逆に言えば「悪人は死んでもいい。むしろ死ぬべき。世の中死んでもいい人間はたくさんいる。」で、

勿論確証は無いのだが、作者としてはこっちが先だったのかなとも思うし、何よりこれは「共感できる動機」だ。だからDEATH NOTEは成立した。

フィクションに置いても現実に置いても悪人というものは邪魔なものであるからだ。だから敵だ。

...という考えが前々からあって、実践してみた。

皆がよく口に出す「好きな人の笑顔が好き」、これ逆に「嫌いな人の泣き顔が好き」なんじゃない?と思ったのだ。

Twitterや、勿論学校生活を見ててもそう思う事は多々あった。全員が無自覚に嫌いな人(=悪人)を差別している。

是否はともかくとして「これ良いじゃん!」となった。性悪説

 

そして、朱雅は天才である。

17歳にして警察試験をパスし、刑事として放課後や早朝に悪人逮捕に勤しんでいる。

何より、前述の性悪説を唱えながらそれを理解し、つまりそれはと他人が思うのも分かっていて「悪人の泣きっ面が好き」と言ってしまえる人なのだ。

設定として朱雅は努力の天才なので飛躍する元の発想は常人のそれだ。ただ彼女が非凡であるのは発想を飛躍しそれを受け入れられるところだ。(そして並々ならぬ努力は人に彼女を天才だと誤認させている)

彼女は誰よりも人生を楽しんでいる。

 

快楽主義の天才女子高生刑事。正義の側に立っているだけで、彼女もまた悪人なのだ。