斎藤の小噺

漫画描きの日記

朝⑥

Twitter見てて思うこと。

 

人間なんてのは自分の行動を理論武装して正当化できるだけの獣だなと思う。

 

1.

あるフェミニストのツイートで

「署名は〇〇の為のものではなくNHKで特番など真剣に取り組んでもらう為。もし〇〇が分かってくれたら嬉しいけどそれは諦めている。」

というのがあって、

いやそれはおかしいだろと。

 

そもそも真剣に取り組んでもらいたいのは、

それをきちんと色んな人に認識してもらいたいからで。なんで認識してもらいたいかといえば、その人から見て間違った認識の人が多いからのハズ。それならその間違った認識の人として浮上したその人の認識は正すべきで、それを諦めてるというのは矛盾している。

 

つまり真剣に取り組んでほしいっていうのは、自己満足を目指している可能性がある。

だとしたら、(別にそれ自体は構わないのだけれど)「この世界を良い方向へ導くため」みたいなスタンスをやめてほしい。だって嘘なんだから。

 

「私は...自分の欲求を誰かの為だと

主語をすり替える人が嫌いです...

自分を正義だと信じて疑わない姿は

とても醜い...」

ー小田切学 (少女ファイト)

 

2.

犯罪者や他人に迷惑をかけてニュース等で取り上げられた人間だからと言って、それを晒し上げて言葉で殴る必要はあるのか。

 

確かにその人たちがやった事は人生を変えたりするレベルのものであったかもしれないが、そもそもその罪を裁く為に刑罰があって、それに納得しているから警察に突き出すわけなのに

それ以上の過度な罰を行うのは良いことなのか。コンビニの店員にキレ散らかす人間と同じではないか。

 

ましてそういうツイートに対して「正義だ」と言わんばかりに人間が群れて「よくやった」だの「当然の報い」なんて、

どの口が言うんだよと。

 

日本からイジメが無くならない原因だよ。

日本人は群れから悪目立ちした人間をとにかく殴る。嘲笑する。そしてそれに気づかない。

三日もすれば忘れるんだろう。

 

犯罪者を血が出るまで殴る動画を貼ったツイートにあるコメントで

「こんなに殴る必要なくない?」

→「いや犯罪者なんだから当然でしょ」

→「確かに!主よくやった!」

おかしいでしょ。

犯罪者だったら殴って良いなら、

不細工ならいじめてもいい事になってしまう。

 

結局「正義」の側に立っているつもりの人間は当たり前のように唾を吐いて嘲笑する。

悪なら殺してもいいから。

 

結局犯罪者なんて法律って理論があるだけで、個々人が「悪人」と思うかどうかでしかない。

悪人を殺していいなら皆死ぬべき。

僕から見たら悪人だから。

そしてそれを見た人たちは僕を悪人と言うから

僕も死ぬ。

 

3.

死にたい。