斎藤の小噺

漫画描きの日記

朝②1

中島哲也「来る。」、「告白」を観た。

自分の見たいもの、好きなもの、描きたいもの、それぞれちゃんと一致してはいる。だがそれが人に好かれないものであり、エンタメになりづらいものであるのがより明確になってしまった。自分がどれだけそれが好きでも他人からしたらつまらない気持ち悪い価値のないものなのかもしれないと思うと気が重い。

エンタメ120をやってる作品の中にも勿論好きなものはあるし、それだけのものでも全然好きではある。しかし自分が心底好きなもの、描きたいものに絞るとそれは薄れる。作者の主義主張の強いもの、読んでる観てる人間の心に深く入り込むナイフみたいな作品が好きだけど、基本的にそれは受け入れられない。

当然だけど多くの人は人間の心の闇だの影だのを見たくないし、皮肉にもこれを描くのが上手い作品ほどその感想が嫌悪に寄りやすい。ただ自分は観てる側として、どうしようもなくそういうものに惹かれるし、描きたい。描きたいが、誰も求めていないのであれば商業的に価値が無い。

どんなに綺麗事を重ねても事実は事実。商業誌で生きていきたいのであれば商業的に無価値なものは無価値。
考え出したら嫌になってきた。
描きたいものを一切やらないのも違うし、かと言って娯楽120でやるならもう自分が描く意味も無い。ただ自分の代わりは幾らでもいるのも分かっている。

諦める方が、死んだ方が楽だ。生きる事は辛く苦しい。